いかにも高価そうで巨大な、お洒落な硝子のテーブルが、割れた。
目の前で物凄い音を立てて、粉々に砕け散った。
大量の硝子の破片は、一瞬でテーブルの跡形もなくなっていた。
しかしそのどれもが、元のテーブルよりも美しく生まれ変わっていた。
ダイヤモンドのようなその欠片の一つは、今は絵の中を生きる少女の心臓となっている。
身体は時に傷つけられる けれど、神殿には絶対に立ち入らせるものか
期間限定の身体、Time-limited body
人間の肉体と魂の関係は、車と運転手のそれによくたとえられる。
たとえ事故で車が壊れてしまったとしても、運転手はそれを乗り捨てて新しい車に乗ることができる。
たとえこの身体がもしだめになってしまっても、魂は今の私の肉体を捨て、次の新しい肉体に入る、のかもしれない。
生きていれば、傷がつくことだってある。車のように。
年季が入れば、新車同然のようにはいかないだろう。少し悲しいけれど。
この身体には、期限が定められている。
いつまで使えるのかは知らされていないけれど、期間限定の身体である。
私と違って、絵の中の少女達の肉体は期限付きではない。
おそらく、半永久的に変わらぬままそこにいるのだろう。
そんな彼女達の存在が少し羨ましくもあり、またほんの少し可哀想にも思う。
永遠の命があっても、少し退屈なのかもしれない。
期限付きでないと、全う出来ない使命もあるのかもしれない。
この期限付きの身体を使って、私にはどれだけのことが出来るだろう。
微かであっても闇に光を。
そして、今よりほんの少しでも美しい世界になることを。
随分昔、この身体を使って、私は絵を描くことに決めた。
多分、それだけしか出来ないから。
いや、それさえ出来れば充分である。
この作品が出来るまでの経緯
2018年秋、香港島で個展を開催した。
信じられない位広いスペースのギャラリーに、信じられない位の厚みのガラスのテーブルが置かれていた。
作品を搬入して、壁に飾り付ける。
途中で、テーブルの位置を少し変えたくなって、すごく重かったので、四人がかりで動かすことにした。
けれど途中で四人の息が合わなくなって、テーブルがバランスを崩して転倒。
ガラスの板が一瞬にして床に砕け散ることになった。
スタッフの人達が慌てて破片を掃除している最中、私は、欠片達のあまりの美しさに心を奪われてしまい、その中の何片かを、日本まで持ち帰った。
手を切らないように、こっそりとそっと持ち上げた。
個展も無事終わり、帰国してしばらく経ち、持ち帰った欠片の存在もすっかり忘れていた。
「神殿」のガラスの心臓部分は当初、油絵で描くつもりでいた。
けれど全体の7割程を描き上げたとき、ふいに違和感を感じ、何となくアトリエの棚の引き出しを開けた。
奥の方にいた、心臓の形に割れたガラスの破片と目が合った気がした。
傷ついた心臓を大事にしてあげたいからか、それとも私の手も傷つけられないようにするためか、どちらであっただろうか。
慎重に、大切に持ち上げて、透明な血の色を塗り重ね、新たな作品の一部になってもらったのだ。